改造社・白樺派関係
芥川 龍之介
芥川 龍之介 あくたがわ りゅうのすけ | ||
生没年月日 | 1892(明治25)年3月1日~1927(昭和2)年7月24日 | |
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略歴 |
小説家。 東京都生まれ。 東大在学中、友人達の影響を受け創作を開始し、第3次「新思潮」に参加。1915(大正4)年、『羅生門』を発表、その後夏目漱石の門に入る。翌年発表した『鼻』が漱石の称賛を受け、文壇の注目の的となる。続いて発表した『芋粥』『手巾』で、彼の文壇における地位は確固たるものとなった。以降も『戯作三昧』『地獄変』『奉教人の死』『河童』『歯車』をはじめとした、多彩な短編小説を次々と発表し、大正時代を代表する作家に上り詰めた。しかし、体調の著しい悪化と精神の衰弱が重なって、1927(昭和2)年、服毒自殺した。 |
横光 利一
横光 利一 よこみつ りいち | ||
生没年月日 | 1898(明治31)年3月17日 ~1947(昭和22)年12月30日 | |
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略歴 |
小説家。 福島県生まれ。 早大在学中から文筆活動を始める。後に大学を中退するが、この間に川端康成、菊池寛と交流を結ぶ。1923(大正12)年に「文芸春秋」誌上で『蝿』『日輪』を発表。これにより一躍文壇で注目される存在となった。翌年、川端康成らと共に「文芸時代」を創刊、新感覚派と称される運動を展開した。 主な作品に『機械』『上海』『紋章』『純粋小説論』『旅愁』などがある。 |
菊池 寛
菊池 寛 きくち かん | ||
生没年月日 | 1888(明治21)年12月26日 ~ 1948(昭和23)年3月6日 | |
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略歴 |
小説家、劇作家。 香川県生まれ。 本名・寛(ひろし)。京大在学中に第3次・第4次「新思潮」に参加。地道な創作活動を続け、1918(大正7)年『忠直卿行状記』が認められ作家としての足がかりをつかむ。明快なテーマと構成に基づいた歯切れの良い短編小説を得意とした。主な作品に『恩讐の彼方に』、『真珠夫人』など。<生活第一、芸術第二>の信条から、実業家としても優れた業績を残しており、その際たるものが1923(大正12)年に創刊した雑誌「文芸春秋」。また、芥川賞・直木賞・菊池寛賞などを創設し、後進の育成にも努めた。 |
志賀 直哉
志賀 直哉 しが なおや | ||
生没年月日 | 1883(明治16)年2月20日~1971(昭和46)年10月21日 | |
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略歴 |
小説家。 宮城県生まれ。 1910(明治43)年の「白樺」創刊に参加し、その中心的な作家として活躍する。自己の感覚や倫理観への強い信頼と事象に対する鋭い眼差しとを通じて触れた事柄への、簡素かつ的確な表現は近代リアリズムの頂点に位置する。それゆえ<小説の神様>と称され、多くの人が魅了された。 主な作品に『網走まで』、『城の崎にて』、『暗夜行路』など |
武者小路 実篤
武者小路 実篤 むしゃのこうじ さねあつ | ||
生没年月日 | 1885(明治18)年5月12日~1976(昭和51)年4月9日 | |
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略歴 |
作家。 東京都生まれ。 1910(明43)年の「白樺」創刊に参加し、その中心的な作家として活躍する。創刊当初はトルストイの自己犠牲と禁欲の精神に傾倒していたが、後にそれを脱する。自己の要求をありのままに受け入れ、自我・個性の無限の発展が人類普遍の善につながるという楽天的自己肯定の精神を主張。平明な言葉と虚飾のない文体が、多くの支持を集めた。 主な作品に『お目出たき人』、『友情』、『愛と死』など。 |
林 芙美子
林 芙美子 はやし ふみこ | ||
生没年月日 | 1903(明治36)年12月31日 ~ 1951(昭和26)年6月28日 | |
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略歴 |
小説家。 山口県生まれ。 本名・フミコ。1922(大正11)年、女学校卒業後に上京。職を転々としながら、詩や童話を書きつづける。その間に、萩原恭次郎をはじめとしたアナーキスト作家と交流、影響を受ける。1930(昭和5)年、「女人芸術」に連載された『放浪記』を出版。ベストセラーとなり、一躍人気作家となる。戦時中は従軍記者として各地を歴訪。戦後は、それまで以上に精力的に活動し、『放浪記』第3部、『晩菊』、『浮雲』など名作を次々と発表した。しかし、1951(昭和26)年、多くの連載を抱えたまま、心臓の疾患が原因で急死した。 |